病気になっても病人にならない社会へ 「幸ハウス」 川村真妃さん

投稿日: カテゴリー: お知らせ
NPO法人幸ハウス代表、川村病院緩和ケア病棟非常勤医師

NPO法人幸ハウス  https://sachihouse.org/

GEN-Japanさんと辻信一さんが中心となり、日本各地でロ川村真妃さん写真ーカルな動きやコミュニティづくりを進めている実践家の方々(谷崎テトラさん、山崎亮さん、吉田俊朗さん、ソーヤー海さん、Greenz鈴木菜央さん等)が「コミュニティを創って、みんなで生き抜こう!」という思いで集結!
オンラインイベントが2月19日から3日間開催されます。
そしてこのイベントの二日目、2月20日には、私も「福祉と子育てがコミュニティーをつくる」というセッションで、幸ハウスの活動をお話させていただくことになりました。

気候変動やコロナ感染の蔓延により、個人個人の間や国と国の間に距離を感じ始めるこの時代の中で、様々な場所で、様々なテーマを通じてコミュニティーを構築されている皆様と心を一つにイベントにむけて動くことができることに大きな希望と喜びを感じています。

●今力を入れていること

病気になっても病人にならないという社会を作りたくてNPO法人幸ハウスや緩和ケア病棟|いまここ|を設立いたしました。そしてそこで癌患者さんやご家族を中心に、最期まで自分らしい生き方ができるための寄り添いをさせていただいています。その過程で自分が最後まで大切にしたいことについて考えることやそれについて語り合うことを病気になる前から行う大切さを痛感し、誰もが死生観と日常で考え語れる414(よいし)カードの開発に取り組んでおります。414カードは日本人が死ぬまで大切にしたい価値、47項目から成り立っており、その項目を自分ごとに深めるための問いが一枚一枚のカードに書かれています。

今年の4月に発売予定で準備中です。準備をすすめながら、発売毎に死生観について語ってみたいという方を対象にオンライン体験会を毎週月曜日に開催しておりますが、1時間という短い対話会のなかで、お互いがカードを通じて死生観を語り合う場があることで、初めましてのかたとの本質につながれる対話ができている気がしていて、このカードを通じて新たなコミュニティーが生まれていったら面白いと感じて活動しております。

コロナで物理的な繋がりは分断されてしまっていますが、様々な場で、様々な専門を通じて、つながりを構築され続けている方のお話を聞いていただくことで、「あいだ」として存在している自分を見出し、「あいだ」としての新たな役割を、どんな人も見つけることができると感じます。

そして「あいだ」としての役割に気づくことで、コミュニティーづくりの一員として、分断が進む今の社会の中でつながりを取り戻せる存在になると感じます。
今の時代にとても必要な取り組みであり、オンラインイベントだと感じています。

協同組合とエコビレッジ 玉木信博さんから

投稿日: カテゴリー: Eventresources
エコビレッジと協同組合について述べた書籍の写真ー協同組合とエコビレッジー考察
個人的には、先進諸国において平和、環境、健康等に強い関心のある一部の人々が、自らのライフスタイルを求め、共通の考えを持つ あたらしいコミュニティを創っていくというエコビレッジの思想と、労働者協同組合(ワーカーズコープ)とでは異なる印象が強かった。
労働者協同組合は既存の地域社会の課題に直接的に事業や運動を通じて市民主体の力で解決していこうと考えるからである。
しかし、先進諸国の「目的共同体」としてのエコビレッジと共に、近年ではエコビレッジは第三世界の伝統的な暮らしを営む村落で文化の持つ力やエネルギーをうまく生かして、新たなローカリゼーションの運動を展開している実践がある(「いよいよローカルの時代」ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ、辻信一、大月書店)。
前述のヘレナ氏はインド北部のラダックの人びとの伝統的な暮らしから学ぶことで、グローバリゼーションへの警笛と共に、現代のエコビレッジ運動へ大きな影響を与えている。ヘレナ氏はエコビレッジの運動の可能性を「エコビレッジを形成する運動は、おそらくグローバル経済への従属に対抗する最も包括的な手段である。世界中で、人びとは現代生活の特徴である、浪費、公害、競争、暴力から抜け出そうとする共同体を構築しつつある」と述べている。
また、エコビレッジに代表される「コハウジング」を基盤とした「目的共同体」の運動をリードしたデンマークの思想家ヒルダー・ジャクソンはエコビレッジの可能性を「広範囲に及ぶ持続可能な社会への転換こそが人類が地球上で暮らす上で必要とされていることを伝えることができるようにする」と考えていた。(参考、世界のエコビレッジ 持続可能性の新しいフロンティア、ジョナサン・ドーソン、日本経済評論社)つまり、エコビレッジの運動そのものが、社会変革を目的にあるということだった。
エコビレッジ運動の中でロス・ジャクソンらが設立したガイア・トラストという団体が 1990 年の報告書で、エコビレッジ運動の「手本となる新たな取り組み」としてスペインの「モンドラゴン協同組合ネットワーク」が挙げられている。モンドラゴン協同組合ネットワークは、スペインのバスク地方をルーツとし多様な協同組合の複合体で、その中心は労働者協同組合(ワーカーズコープ)である。
また、オーストラリアにマレーニという町がある。オーストラリアの協同組合の首都とも言われ、多様な協同組合とコミュニティ組織によって成り立っている。この町の郊外に、クリスタルウォーターズ・パーマカルチャー・ビレッジというエコビレッジがある。パーマカルチャーというのは、人間にとって恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系のことであり、パーマネント(permanent 永久の)とアグリカルチャー(agriculture農業)の造語であるが、同時にパーマネントとカルチャー(文化)の縮約形であるとされている。このクリスタルウォーターズには日本からパーマカルチャーを学びに行く人も少なくない。そして、このエコビレッジもまたクリスタルウォーターズ・コープとして協同組合によって運営されているのである。(社会変革の協同組合と連帯システム、著 津田直則)このことは、パーマカルチャーの技術的な面を学ぶ方にとっては、あまり知られていないかもしれない。
協同組合は「共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治的な組織」であることから、平和や環境との調和を目指すエコビレッジの運営上、非常に親和性が高いと考えられる。(コミュニティ)協同組合とエコビレッジの関係は、今後深めていきたいテーマの一つである。(協同の発見2020年4月「未来への胎動 エコビレッジの考察から」寄稿一部抜粋)

1月15日のコミュニティをつくって生き抜こう!第一弾の感想です

投稿日: カテゴリー: EventGENtopics
「あいだ」と「わからない」

不寛容、自己責任、監視、分離。今の社会を表すために用いた、とても重苦しい言葉の羅列からはじまった、辻さんの話は、だんだんと熱を帯びながらも、愛情と願いを乗せたような言葉の連続により、それはまるで「自」と「他」の分離がなくなり、「あいだ」を心地よく佇むことのできる「スロー」でやさしい時間となっていった。
そのとても温かい場でのことを記したいと思う。

いつからか人間は、「あいだ」を破壊してきた。また「わからない」を許さなくしてきた。
そのことで、今の社会の諸問題が起こっていると、辻さんは指摘する。
わからないことをよくないとし、わかることを評価にしたゆえに、コロナウイルスのように本来はわからないことまみれの世界に生きているのに、社会としてわからなさに耐える能力(ネガティブ・ケイパビリティ)も失っている。
「わかる」とは、「分かる」であり、二元性であり、分離そのものであり、「自分が正しい」状態ともいえるだろう。
「自」と「他」。主体と客体。「与える側」と「いただく側」。それらを明確に二分化させたことで、分けることのできない間柄や問題を、こじらせてきたのではないか。
本当に分けられるものなのだろうか。
各大陸の先住民をはじめ、西洋科学文明以外では共有されてきた人間の本来在る姿に生きようとする人々の間では、「わからない・分けられない」領域を、重要視してきたのではないか。

「文化」がそうだろう。
文化とは、劇場や美術館にあるものだけでなく、そもそもは人の営み・生き方そのものである。
人と人との関係性や間柄から、ありとあらゆる場所で、その場に応じて、何千年と育まれ、綾なされてきた、「あいだ」そのものである。
そして「わからなさ」の知恵でもあった。
例えば、誰から誰に物を送られたかをわからないようにすることで、そこに必要外の上下を生み出したりしない工夫がなされていた。
画一化されなかったとき、もともと世界はとても多様だったのだ。

私達は、自分を「知っている」と思いがちだけど、本当には何もわかっていないのかもしれない。
最新の研究では、ウイルスや菌類などの微生物が体内や細胞内に無数に存在し、更には、それらのウイルスや微生物無くして人は生きられない。更にはそれらの存在は、細胞内外や空気をなどを媒介し、他者と呼ばれるものと「乗り入れ」し合うという。
もはやどこからがウイルスで、微生物で。どこからが自分で、あなたで、といえるのだろうか。
能動態と受動態というが、世界中の言葉にはその「あいだ」である「中道態」とよばれる言語体系があるのだ。
もはや分けることなどできないのではないか。したとしてもその「あいだ」を持っていたのでなかったか。

しかし「わかる」を基にした、科学技術至上主義と資本主義・自由主義などのマインドセットで、「あいだ」を無くし、「0」か「1」かの世界観になってしまっている。
それらにより「自」と「他」を分けたままにしたことで、かの相模原事件で話題ともなる、生産性のない、イコール「生きる意味のない人」という考えも生まれてしまった。

「二者性」という最首悟さんの言葉を引用して、辻さんは語る。
そもそも「わたし」というものは、「最初から」与えられているのではない。「我思う。ゆえに我あり」的な利己的態度でみる分離の「わたし」ではなく、「わたし」とは、「あなたのあなた」なのだ。
どこまでもつながっている存在なのだ。
自他未分で、不可分なのだ。

そして僕らを勇気づけるようにメッセージをくれた。
「主」と「客」だけでない「あいだ」を取り戻そう。
わたしとあなたは一体で、つながっているのだ。
わからないを怖れずに「あいだ」に入って行こう。
そしてコミュニティを作っていこう!

とてもやる気がでてきたよ。

記事 倭翔輝